猪突猛進男の世界一周やらかしブログ

旅のテーマは"なし"。旅は自由に!!やりたいことをやり、見たいものを見て、いろんなことに猪突猛進になって挑戦する。そして今自分が感じたことを一番に!!書き綴っているブログ。

ジェンネへ@ついに激レアな泥のモスクが目の前に❗:マリday10前編

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日本→タイ→マレーシア→タイ→カンボジア→ベトナム→ラオス→タイ→ミャンマー→タイ→ネパール→バングラデシュ→シンガポール→インド→ケニア→タンザニア→ザンビア→ジンバブエ→ボツワナ→ナミビア→南アフリカ共和国→アラブ首長国連邦→セネガル→マリ共和国→ギニア→モーリタニア→西サハラ(モロッコ)→モロッコ→スペイン→日本



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無理だと思っていたものが見れた瞬間。



プチ夢が叶った瞬間。



諦めずに生き続ければ、

そんな瞬間が増えると信じる。



by こうの たかのり








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2017/1/21(Tue)




興奮のドゴン族のトレッキングから一夜が明けた。

今日は、マリの第二の目的であった、ジェンネという場所へ向かう。

ジェンネには、ユネスコの世界遺産にも登録されている、泥のモスクがあるのだ。

※前回の記事で、砂のモスクと記載したが、泥のモスクの誤り。




まずは、ジェンネと泥のモスクについて。

以下、wiki大先生より。




1280年にコイ・コウンボロ (Koi Koumboro) 王がイスラームに改宗し、ジェンネに壮麗なモスクを建てた。

その後ジェンネは、様々な国に征服され、モスクは取り壊された。

ジェンネの都市史は相次ぐ征服の歴史ではあったが、同時にその歴史を通じて、ブラックアフリカにおけるイスラーム拡張の中心地であり続けた。




現在の泥のモスクは1907年に建設され、1988年にユネスコの世界遺産に登録された「ジェンネ旧市街」の象徴的建造物である。

モスクはほとんど泥で建てられた為、「泥のモスク」と呼ばれている。

屋根が100本の柱で支えられている泥のモスクは、奥行き75m、高さ20mで、1000人の信徒を収容できる。

表面の材質は泥のため、町の住民で分担して毎年塗り直しが行われる。

ユネスコ世界遺産の中で「100年後には見られない可能性が一番高い世界遺産」にも選定されている。




むむむっ❗❗

100年後には見られない可能性が一番高い世界遺産⁉⁉

世界遺産にはあまり興味がないが、今後見られなくなるかも、と聞くと、見たくなるのが人間の心情じゃない?

いやー楽しみ✨✨✨









朝8時。

ジェンネ行きのバスへ乗るため、バス停へ向かった。




バス停はどこだろう?

大体の場所は昨日ハミドゥから聞いていたが、詳しくは分からない。

面倒だな⤵⤵なんて思っていると…







ハミドゥーー⤴⤴⤴

ハミドゥが迎えに来てくれた(*^^*)

そして、バス停まで送ってくれると。

いやーありがたい。

トレッキングの気遣いも親切だったし、ハミドゥは良いガイドであり、良い男だと思った。

良いビジネスマンでもあるのかな?笑







徒歩10分程度でバス停到着。







ハミドゥがチケットを交渉してくれた。

現地の言葉が分からない俺達にとって、これは非常にありがたいことである。

ただし、ここで誤算が。

俺達は、次の場所へ行くことも考え、ジェンネへ日帰りで行きたかったのだが、それが可能なバスが既に発進してしまっていた。

やばい❗日帰りできないと、予定が狂ってしまう…どうしよう?

と思いきや、運良く日帰りでジェンネに行くという、乗り合いバンの運転手を発見することができた。




よかったー⤴⤴




と安心したところで、朝食。

ドゴン族トレッキング初日の朝に行ったお店と同じお店へ。







これ、めっちゃうまそうやない?







こんなうまそうなご飯あるんだ👀👀

見た目がうまそうなものは、大概うまい❗❗

ということで、これもうまかったー⤴⤴




そして、ここでハミドゥとはお別れ。

帰りのバス停まで案内してくれて、本当にありがとうございましたー。















これはジェンネ行きのバン。

例によって客が満員になるまで出発しない。

今回は何時間かかるのかな?

まあ、皆で待ったから、一人よりは楽しく過ごせた。




結果、今回は約3時間待ちだった。







満員御礼❗❗

写真では伝わりづらいが、すごく窮屈(^^;

足の下には大きな米俵があって、足が安定しないし…環境は最悪❗❗







そりゃこんな顔になるわ❗❗笑







道中、川に突き当たった。

ここを越えるようだが、どうするのだろう?

と思ったら…







フェリーで越えるようだ。

乗客を全員下ろし(俺となおき君だけ、乗ったままだった。)…







フェリーへ突入❗❗

無事、川を渡り終えた。

そして、ジェンネ市内へ入ってきた。










民家が泥でできてる❗

ドゴン族の家も泥だったが、それとはまた違う感じで、美しく感じた。




ちなみに、泥の建物について、興味深いことがあったので。

以下、とあるインターネットサイトより。




ブラック・アフリカは、木の文化圏や石の文化圏と異なる「土の文化圏」である。

古来、ほとんどすべての建物は 土、つまり「日乾しレンガ」で建てられてきた。

それはアフリカばかりでなく、世界中の建物の約 40%は 今も土で造られていて、世界の人口 68億の内、半数の 30~35億人は 土の住居に住んでいると言われる。

土は最も安価な材料であり、人の住むどこでも入手可能であり、しかも保温性が高いので、雨量の少ない地域である限り、これは優れた建設材料だったのである。

エジプトの近代建築家で、第三世界の建築界のリーダーとなった ハッサン・ファティ(1900-89)は、当時の(現在も)アフリカの経済状態からいって、日乾しレンガ造による建物が その風土に最も適していると考え、生涯それを実践して、土による近代建築を設計し続けた。




とはいえ、土は降雨や洪水に弱く、また放置されれば ひび割れ、崩れ落ち、遺跡となるよりは 大地に還ってしまう、はかない材料でもある。

かつてのアッバース朝イスラーム帝国の首都として 栄華を極めた バグダードの都でさえ、放棄された後は 跡形もなく消え去ってしまった。

建築史の書物は 石造建築や木造建築の歴史で構成され、土造建築が扱われることは ほとんどない。

実際、ブラック・アフリカの中で最も建築的に知られている マリにおいてさえ、18世紀以前の古い建築文化は 何も残っていないのである。




なるほど。

確かに泥は身近な材料だし、貧しい人々には適しているのか。

だけど、自分が泥の家に住むことは、考えられない❗

そんなことを考えていると、バンは終点に到着した。

そしてバンから降りると目の前には…







うおーーー❗❗❗

泥のモスクやないかーーー❗❗❗




思ったより小さく感じたが、写真で見たものを実際に見れたことに感動。

なかなか見に来れない場所なだけあって、レア度が高い⤴⤴

だけど逆光やな❗

何かいい方法はないものか…

と考えていると、ガイドらしき人が話しかけてきた。

そして、とある一軒の家の屋上に、フォトポイントがあると教えてくれた。

もちろん有料だけど。500CFA(1CFA=約0.2円)ね。







とある一軒の家に入る。







そして屋上へ。

すると…






おおーーー❗❗

キレイ😆😆




↑withこうの。




いい写真が撮れて満足(*´▽`)







ついでに、辺りの民家も覗いてみた。







泥の家に、本当に人が住んでるよー。

日本との環境の違いが大きすぎて、想像もできないわ。




と、これにてジェンネ観光終了。

その時間、約30分。

まあ、ジェンネはそれくらいで十分でしょう❗❗




観光を終えた後は、俺はバマコ、なおき君とチェコさんはモプティへ戻ることに。

長くなったので、次回へ続く。




Fin...



 最後まで読んでくれてThanks❗❗

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