仏教を学ぼう🎵@やっぱり覚りは開けません。:インド day9
【ルート】
日本→タイ→マレーシア→タイ→カンボジア→ベトナム→ラオス→タイ→ミャンマー→タイ→ネパール→バングラデシュ→シンガポール→インド
【リアルタイム】
10ヵ国目:インド ブッダガヤ
【ブログ】
旅は新しいことに興味を持たせてくれる。
旅は違う考えを持つ人と出会わせてくれる。
旅は自分の考えを変えるチャンスをくれる。
旅ってステキだな🎵
by こうのたかのり
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11月2日
昨日予告した通り、今日は仏教について。
今日はホテルに籠って、ずっとこれを読んでいた❗
手塚治虫のブッダという本。
俺は活字が苦手だし、漫画の方が分かりやすいと思い手に取った本。
これが正解で、当時の現状や情勢なども知りながら読むことができたので、すんなりと頭に入ってきた。
そして今回のブログの内容はこの本を参考に。
図解で示してあって、とても参考になった。
内容に入る前に…
これから活字ばかりで、自分の人生論や仏教について永遠と語るので、興味のある方だけ読んでくれるとありがたいです😄
…
そもそも何故仏教に興味を持ったのか。
皆さんは「人間は何故生きているのか?」と聞かれたら何と答えますか?
色んな答えがあると思うが、俺は考えた結果
「自分が楽しむため。」
と答えを出した。
だけどブッダの答えは
「苦しむため。」
自分の答えとは正反対だ。
でも思ったのは、楽しむためには苦しみがなくなるという大前提が必要なのか?
そして、ブッダは人を苦から救う方法を解いている。
その考え方は自分の考え方にはない斬新なもので、とても考えさせられた。
だから仏教の考え方を学びたいと思い、仏教の聖地ブッダガヤを訪れ、仏教を知ることにした。
最初に…
仏教はブッダによって教えられたものであるが、ブッダ自身は分野について何も書き残さず、聖典も作っていなければ、仏教を体系化もしていない。
そのため現在の教えは、ブッダが人々や弟子達に語り継いだものを、弟子達が独自に解釈して作られたもの。
更に仏教は数々の宗派に分かれており、考え方も数多く存在する。
だから俺は宗派などには興味がない。
興味を持っているのは、ブッダの考え方である。
自分の生きる道、の道標にブッダの考え方を吸収したいと思う。
…
まずは、ブッダを生い立ち。
シッダッタ(後のブッダ)はネパールのルンビニーという場所で、王の子として生まれた。
何一つ生活に不自由なくそだったシッダッタ。
幼い頃は宮殿の中で育った。
ある日宮殿の外に出たシッダッタは、外の世界の現実を知る。
腰の曲がった老人や痩せこけてうずくまる病人、死者を見て衝撃を受けた。
これを自分のこととして思い悩んだシッダッタは、苦悩に悩まされる。
ある時出家僧と出会い、出家こそがこの苦悩を克服するために必要なことだと確信した。
そして29歳のとき、妻子を捨て、恵まれた生活の全てを捨てて出家修行者の道に進んだ。
その後6年間、誰よりも辛い苦行を受けた。
苦行の内容は、長期間の断食(最終的には、一日にゴマと米粒を一粒づつしか食べなかった)や長時間の息止め、野生動物がたくさんいる場所での瞑想、冬の冷水への沐浴などである。
しかし覚ることはできなかった。
苦行が無益であることを知ったシッダッタは、苦行をやめて深い瞑想に入る。
そして三日目、とうとう覚りを得て、ブッダ(目覚めた人)となった。
ごくごく簡単に言うと、これがブッダの辿った道。
35歳で覚ったブッダは80歳を迎える時まで、仏教を広め続けた。
…
ブッダが覚った内容について。
仏教は「苦」から解き放たれることが目標である。
そのためには、「苦」とは何かを知らなければならない。
ブッダは、「苦」の根本的原因は、縁起であることを覚った。
縁起とは、全てのものが原因による結果として現れるということである。
これだけでは分かりづらいが、次の考え方が重要。
原因や条件が変われば、当然生じる事柄も変化する。
いつも同じ状態であり続けるもの、永遠に存在するものなどは存在しないということになる。
ということはだ、人は今の状態がいつまでも続くと錯覚し、こだわりを持ってしまう。
そうすると病気や死をはじめとする、様々な変化が起こったときに苦しみが生じる。
これらは諸行無常という考え方らしい。
俺は非常に納得させられた。
俺なりに例えて説明してみる。
それはニキビ。
生まれたての顔にはとてもキレイでスベスベしている。
ニキビは存在しない。
でも歳を重ねるごとにニキビができてしまう。
そこで大きなショックを受ける。
今までキレイだった肌に、何故ニキビができてしまったのだろう?
肌が汚くなってしまった。
だけどブッダの考え方で言うと、ニキビはその人にできて当然のもの。
肌の質は変化していくのだから。
事柄は無情な方向にも自然と動いていく。
それを分かっていれば、ニキビはできても仕方のないものだと最初から覚悟ができ、受け止めることもできる。
すると「苦」がなくなる。
というのがブッダの言いたいことだと俺は解釈した。
そしてもう一つの考え方は、諸行無我というもの。
全てのものが因縁によって生じているので、独立したものは存在しない、という考え方。
俺なりの解釈。
全ての物事は原因と結果で成り立っているので、結果だけのものは存在しないし、原因だけのものは存在しない。
ということは、全ての物事は関連しているということ。
人は人だけで生きていない。
食事を食べるという行為一つとっても、食材を作る人、食材となる動物などとの関係が必要である。
にも関わらず人は、この食事は自分のものだから、自分の思い通りになるはずだと思い込んでしまう。
そして自分の思い通りの食事が食べられなかった時に、「苦」を感じる。
自分のものだと思っていても、自分の心でさえも思い通りになるものなど、何一つないのである。
だけど自分のものだと思い込んでしまうから、そこから「苦」が生じるのだ。
そして最後の考え方、涅槃寂静。
これは今までの考えをまとめたようなもので、全ての苦しみは欲や執着などの煩悩によって引き起こされ、その煩悩を滅し去れば、静寂で安らかな世界に入れる、という考え方。
ここまで…
深すぎる考え。
非常に難しく、この考えを実践するには長い時間がかかるのだと思う。
続き…
ブッダは、そんな「苦」を取り除くための実践方法を挙げている。
それは正しい見解をもち、正しい考えをもち、正しい言葉を話し、正しいおこないをし、正しい生活を送り、正しい努力をし、正しい記憶をし、正しい注意をする。
これを八正道と言うらしい。
要は、正しいことをしろということか?
そしてその正しい道を、中道と名付けた。
それは、ブッダが生まれたての快楽な生活、苦行という厳しい生活、その両極端な生活を捨てたから覚ったもの。
中道の生活をすれば、苦にも楽にもかたよらない道を歩むことができる。
うむ、なるほど❗❗
何となく分かるような分からないような…
難しい…
俺なりにまとめると、生きることは「苦」を感じることであり、その「苦」の根本にあるものは縁起である。
縁起は全ての物事が原因と結果から成り、それは常に移り変わるものなので、何が起きてもおかしくはない。
正しい行いをしていれば、それを受け入れる心が身に付き「苦」から抜け出すことができる。
こんな感じか?
そしてこのブログを書きながら、すごく不味い食べ物と格闘中。
注文した食べ物と、出てきた食べ物が全く違ったのだ。
この旅史上、最も不味い食べ物。
果たして河野はこの食べ物を攻略できるのだろうか…
というオチで仏教の勉強を終わりますか🎵笑
Fin...
拙い文章ですが、最後まで読んでくださりありがとうございます。ブログもし気に入ったら↓↓下記バナーをクリックください。そしたら嬉しいです。笑